ムー的街角集会所

80年代、90年代のムー的話題を中心にそこから派生したスピリチュアルな話題やあの頃は情報がなかったムー的話題についてみんなで盛り上がります。

第三号 あなたの住む近くにあるムー的ミステリースポット <四国篇>

学研の雑誌ムーには定番の特集があります。その一つが、ミステリースポットの紹介です。

 

ミステリースポットにもいろいろあって、お化けの出るトンネルや峠、古代文明の後と思われる遺跡、裏の歴史話が残るところ、陰陽師や武将の逸話のあるところ、今流行りのパワースポットなどなどです。

 

こうしたスポットですが、もちろんムーの特集やそういう単行本を買えばどこにあるのか一目瞭然ですが、あなたの周りにも実は普通に存在しているのです。

 

四国はミステリースポットだらけだ

大阪や広島の向かい側にある四国。沖縄ほどではありませんがなんとなく、四国は本州から切り離されている感じがあります。

 

実際、織田信長に負けた三好氏など、本州から逃れて四国に逃げ込む人々は多くいました。

 

そのため歴史上四国は本州では思いもよらないような言い伝えや裏歴史が今も息づいているのです。

 

それではその中でももっとも有名なものを紹介しましょう。

 

剣山の「失われた聖櫃伝説」

四国を一番沸かせているホットなミステリースポットが剣山(つるぎさん)です。

徳島県の西端、徳島県三好市美馬市・那賀郡那賀町という三市町にまたがる標高1,955mの山で、日本百名山にも数えられています。

 

この山の何がこれほど注目されているかというと、エリ・コーヘンという元在日本イスラエル大使(大使在職2004-2007)がいましたが、彼は日本とユダヤの文化や民族性の共通点に気が付き、日本には多数の失われたユダヤ十部族の形跡が残っていると常に言っていました。

 

その彼がもっともお気に入りなのが、この剣山で、なんと!あの「失われたアーク」、インディージョーンズで有名になった、行方が分からなくなっているユダヤの聖櫃がこの剣山のどこかに眠っているというではないですか!

 

コーヘン氏は冗談などで言っているのではありません。彼はヘブライ大学で数学物理学を専攻し、イギリスの大学院でMBAを取得したインテリです。しかも空手五段を持っていて、松濤館という誰でも知っている大きな空手道場のイスラエル支部会長なんだそうな。

 

こんな彼があまりにも熱心にここにアークが眠っていると説くものですから、イスラエルやほかの国からのユダヤ人がひっきりなしにこの剣山を訪れるようになってしまいました。

 

もともとユダヤ人は山を拝む信仰を持っているので、雄大な剣山を訪れた皆さんは、

 

「ここに聖櫃が眠っているのは間違いない!」

 

と確信してお帰りになるそうな・・・

 

もし皆さんがダウジングができるとか、埋蔵金探しの技術があるとか、そんな大げさでなくても地図を読むのが得意とか、そんなことができるのでしたら、ぜひ剣山に来て失われたアークを探してみてください。

 

壇ノ浦で平氏と共に海に沈んだはずの安徳天皇は生きていた!?

同じく徳島県の西部に祖谷(いや)という渓谷がありますが、ここは一般的にはその渓谷にかかるかずら橋という山野で採取した自生の「シラクチカズラ」を編み連ねて作ったつり橋が有名です。

 

しかし実は、この祖谷、平家の落人伝説のあるところで、伝説どころか、村人の皆さんは、平家の子孫であると自他ともに認められた存在です。

 

さらに、彼らはもともと壇ノ浦の戦いで表の歴史では滅んだはずの平氏の落人たちで、実際は壇ノ浦で平氏は全滅したわけではなく、こうして逃げのびることができたということです。

 

さらにさらに驚きなのが、壇ノ浦の戦いと言えば、平氏と共に海中に沈んだと言われる、まだ幼かった安徳天皇。なんと逃げ延びた平国盛らの平氏一門に助けられ、この祖谷まで逃げ延びたというではないですか!?

 

安徳天皇と言えば、壇ノ浦まで天皇家代々に伝わる三種の神器を大切に持ち出しました。史実では、源氏側は三種の神器を必死に回収しようとしましたが、どうしても宝剣(天叢雲剣※あめのむらくものつるぎ)を見つけ出すことができませんでした。

 

生き延びた安徳天皇は逃避行中その宝剣を大切に護り、祖谷についたのち、剣山に宝剣を隠したのだそうです(また剣山!?)。

 

残念ながら、せっかく生き延びた安徳天皇ですが、8歳の時に熱病にかかり祖谷の地で没してしまいました。祖谷にある八幡神社には安徳天皇の「ご火葬場跡」があると言います。

 

安徳天皇は女の子として描かれることも多く、もしそのままご成長されたら美しいお姫様になられたのではないでしょうか。

 

高知の徐福伝説ー始皇帝の命令で絶世の美女二百人が高知に住み着いた?

さて、徳島県が二つ続きましたが、他県も負けていません。その中でもスケールの大きい、歴史ロマンを感じさせるのは、高知県にある徐福来日伝説でしょう。

 

徐福は秦の始皇帝に使える方術士でした。始皇帝の信は厚く、不老不死を求めていた彼が、ある日、

 

「徐福よ。蓬莱山のある国に行って、神仙となるための薬草を取って、戻ってまいれ」と命令をしました。

 

「ははー」と平伏し、さっそく準備を始めた徐福さん。なぜか宮廷の美女200人を船に詰め込み、蓬莱山のある国を目指しました。

 

蓬莱山とは富士山であろうとはミステリー好きの間で常識ですが、彼はこの美女200人と今の高知県須﨑市の海岸にたどり着き、須崎市土佐市佐川町にまたがる、標高675メートルの虚空蔵山を蓬莱山と思ってしまったそうな・・・

 

なぜ剣山に行かへんの?とツッコミを入れたくなりますが、この徐福さん、虚空蔵山で目当ての薬草が見つからなかったのでしょう、そこから結構活発に歩き回ったようで、結局和歌山あたりを本拠地と定め、そこから山梨や青森(!?)まで薬草を求めて足を運んだようです。そのため、日本各地に徐福伝説が残っています。

 

ところで同行した美女がどうなったのか、気になるところです。おそらく現地の人と同化してしまったのでしょうが、日本人のゲノム解析が進んで、日本には欧米人ーアラビア人に近い、原日本人のほかに、いくつかの遺伝子プールがあること、その一つの有力なものが現在の中国の江南など南中国、ベトナム系であることが分かっています。

 

実はこの美女200人という数、私がシンガポール福建省出身の老人から直接聞かされた数です。あちらでも徐福は日本に行ったと本気で信じているようです。

 

中国の歴史書、「史記」には同行者の数は3千人(!)それも女性だけでなく男も来たという記述もありますが、さすがに昔の3千人だと、日本人の遺伝子プールを変えるのに十分なインパクトがあったかな、とも思います。

 

もともと徐福が旅立った港は今の山東省と思われていますが、日本海は波が高く、なかなか日本にはたどり着けなかったと聞きます。それに山東省を出て日本海側でなく高知県にたどり着くのも不自然です。

 

おそらく徐福はもっと海の穏やかな東シナ海を広東や福建あたりから出発し、北上して、高知にたどり着いたのではないでしょうか。

 

いずれにしても、壮大なロマンのある話ですね!

 

まとめ

いかがでしたか。ムー的ミステリースポット、四国篇。お楽しみいただけたでしょうか。皆様の周りにも実は様々なミステリーが埋もれています。ぜひ郷土の歴史を発掘して、ご報告くださいね。

 

BY喜太郎堂

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